2008年11月8日土曜日

NOVEMBER 8 1992

1992年11月8日、クラブ史に多大な功績を残したDJで、名プロデューサーでもあった、ラリー・レヴァンがこの世を去った。

あれから16年、記憶を辿って僕のラリー体感記を書いてみる。

※First Contact

初めてラリーのプレイを聞いたのは、88年頃先輩が貸してくれたカセット・テープだった。僕自身若かった事もあると思うけど、最初の印象は正直ピンとこなかった様に記憶している。それを先輩に告げると「現場で体感しないとわからないかも知れない」との事だった。

※Larry @ Endmax

90年、一の橋に出来たクラブ「エンドマックス」のオープニングのゲストがラリーだった。当時では珍しくUREIも常設されていて、音の良い箱だった。最初から聞きたかったので、早めの時間から行ったと思う。行ってみると間違いなくラリーを知らないであろうボディコンのお姉様方がうようよ。それを尻目に踊りまくる。しかし踊ったわりには満足できず、何かモヤモヤしたモノだけが残った。後日知ったけど、この時期のラリーは色々あって調子が良くなかったようである。

※Larry @ Sound Factory

翌年春、初めてのNYで最初の週末に、サウンド・ファクトリーでDjがラリー、ライブにトライバル・ハウスというパーティーがあって、前年東京でのプレイが個人的に満足できなかった事もあり「NYで は絶対ヤバイはずだっ!」と思い込み午前2時頃にフラフラとサウンド・ファクトリーまで歩いて行く。エントランスで「今日はトライバル・ハウスのライブは無くなった」と告げられる。友達と「よくあるよくある」と慰め合いフロアーへと向かうと「ガーン…誰も居ない…」まったく居ない訳じゃないけど、あの広いフロアーに20〜30人くらいしか居ない。なんならフロアーの真ん中で寝てるヤツまでいる有様。Djも微妙で「まだラリーじゃないのかな?」とブースに近ずくと、残念ながらラリーだった…

この頃から「もう過去の人なのかも知れない」と思い始めてしまう。

※Birthday Bash & The Hrmoney Tour @ Gold

翌年のある日、ニューヨークに住む友人からの電話でラリーが復活したと告げられる。しかも復活したパーティーの名前は「ミラクル」。なんたる漫画的展開。同年7月、LARRY's Birthday Bash、9月にFrancois kとのThe Hrmoney Tourで再来日。確かそれぞれ2Daysだったので計4回、ここで遂に真のラリーを体感する事になる。過去の2回をすっかり忘れさせるプレイに「誰でも調子悪い時はありますよね、少しでも過去の人と思ってしまった僕を許してください」と詫びた。まさにスレイブ・トゥ・ザ・リズム。扉を開かれた瞬間、僕らはタガをすっ飛ばし、奇声を発しながら踊り続けた。

後日友達から両日の音源を聴かせてもらい「こんな感じだったか」 と再確認すると同時に「やっぱり現場で体感しないと分からないんだな」「ヤバイ!」というのはこうゆう事だったのか、と実感した。そして復活したラリーはこれからどんな事になるんだろうと思った矢先の訃報・・・ 残念

多分僕らの世代が生前のラリーを体感した最後の世代なのかもしれないな。

今、僕のDjでラリーの影響を感じる事はないかもしれないけど、今でも影響を受けたDjは?と聞かれたら最初にラリー・レヴァンの名をあげている。

God breath you

Thank you for splendid guidance & Respect

R.I.P Lawrence Philpot levan

JULY 20 1954 - NOVEMBER 8 1992

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