2009年2月25日水曜日

Channel One


年明けから、かれこれ何度目かわからないチャンネル・ワン熱がやってきてる。数多いレゲエレーベルの中で個人的にもっとも買いあさったのが、チャンネル・ワンの音源だった。レゲエマジックとしか言い様がないその魔法の音は、いつ聴いても新たな発見と共に心底しびれさせられる。

- Channel One -

70年代半ば、中国系ジャメイカンのフーキム兄弟が作り上げたチャンネル・ワンは世界中のミュージシャンに大きな影響を与えた。

チャンネル・ワンといえば、スラロビのミリタント・ビートにルーツ・ラディックスのワン・ドロップ、へヴィーな低音にクリアーな高音、ウエットなリヴァーブ、そして独特の深いエコー等、対局な質感を見事に消化させたそのサウンドは、まさにレゲエマジック言える。

このレーベルの大躍進のきっかけは専属バンドのスライ・ダンバー率いるレヴォリューショナリーズが演奏するロッカーズ・リズム、ミリタント・ビートによってもたらされた事が大きい。

そしてマイティ・ダイアモンズによる”ライト・タイム”の大ヒットを皮切りに70年代半ばからスタジオの忙しさは絶えることがなくなる。またこの時期チャンネル・ワンは別レーベル、ヒット・バウンドを設立し、ジャマイカ国内のレコード流通も自分たちで行っていたとされる。

チャンネル・ワンを代表するバンド、レヴォリューショナリーズが一躍有名になると個々の活動も増えバンドは消滅、その後レヴォリューショナリーズの一員だったスライ・ダンバーとロビー・シェイクスピアがスライ&ロビーを結成、チャンネル・ワンをレヴォリューショナリーズに代わってささえる存在になるが、彼らもその活動範囲がワールドワイドになるにつれチャンネル・ワンでの活動は目立たなくなる。しかし、後にダンスホールの火付け役となるルーツ・ラディックスが登場し、新たな時代を築き始める。

また、チャンネル・ワンはレゲエ業界では初となる45回転の12インチシングル、ディスコ・ミックスも発売した事でも知られる。80年代にはレコードの両面に違うアーティストをフューチャーしたクラッシュ・スタイルのレコードで成功するが、80年代後期、ルーツ・レゲエの低迷と共にチャンネル・ワンを閉鎖、音楽業界から遠ざかる事となる。

しかし現在でもその人気は高く、VP Rrecords監修のReggae Anthology Channel One等でその軌跡をたどる事が出来る。

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